谷崎潤一郎の陰翳礼讃を読んで電気火鉢とチロルが欲しくなった
ランディーです。こんばんは。
陰翳は陰影。陰翳礼讃。
日陰者の私にはぴったりの本であろうとタイトルだけで
購入してしまいました。
オランダが産んだ光と影の魔術師レンプラントの放蕩息子の酒宴
陰翳礼讃の前に陰つながりでちょっとだけお付き合い下さい。
光と影の魔術師・レンブラントの作品で私が一番好きなのは「夜警」ではなく
「放蕩息子の酒宴」です。
なんという長いグラスでしょうか。放蕩息子がお膝の上に娼婦をのせて
ドヤ顔・笑顔のカメラ目線です。一方娼婦さんは口元は微かに口角上がっていますが
目は全く笑っていません。この対照も私の気に入っている点です。
机の上には雉のようなものがあります。
料理でしょうか。テーブル脇にはナイフも見えます。
私は映画でもドラマでも小説でもアニメでも漫画でも食のシーンを
大切にして欲しいと常住坐臥思っているのですが、この作品は
その点だけ少し残念です。
雉ではなかったです。よく見ると孔雀でした!
ケーキかパイのようなものの上に孔雀が載っています。悪趣味!
中世では孔雀や白鳥の肉は支配層だけが食べられたそうです。
作品中の孔雀は飾りとして乗っかっているようです。
レンブラントと同じ時代同じ国オランダに生きた画家ピーテル・クラース
のStill life with a peacock pieという作品を見ると分かります。
中世料理を復元した白鳥バージョンもありました。
氷で白鳥を彫って飾りにするとかなら分かりますけど、実際に本物を
食べ物の上に置くのって不衛生すぎて中世人の気持ちが全くわからない
のですけど!
そして放蕩息子の背後あたりが薄暗い陰になっており、
背徳感を醸し出しながらも力の象徴としてのサーベルの柄と鍔には
光を当てています。
扇風機は日本座敷とは調和しにくい。現代のエアコンならもっとだ!
しかし煽風器などと云うものになると、あの音響と云い形態と云い、未だに日本座敷とは調和しにくい。
と陰翳礼讃にあります。
1975年初版発行の本なのでエアコンの普及率はまだ20%を切っていました。
今では和室が全くない住宅も多くありますから、和室に扇風機は
確かに合いませんが、洋間であればそれほど不釣合いでは
ないと思います。
現代の問題はエアコンだと思います。
ランディーの「デザインが許せない白物家電」ナンバーワンは
エアコンであります。ナンバーツー、ナンバースリーは
考えていません。勢いで話すタイプです。ごめんなさい。
お金持ちのお宅には天井埋め込みエアコンがあったりします。
それであればあの忌々しい白の突起物が部屋も圧迫しませんし、
景観を損ねません。
また私の知り合いの豪邸の和室には壁の中に木の格子がついている
部分があり、その内部にエアコンが設置されているため、外から
エアコンが見えにくくしてあります。
私の友人の偕楽園主人は随分普請に凝る方であるが、煽風器を嫌って久しい間客間に取り附けずにいたところ、毎年夏になると客から苦情が出るために、結局我を折って使うようになってしまった。
その時代の凝り性の人々は近代製品をつかいつつも空間に紛れ込まないように
様々な努力を試みたそうです。
電話は廊下の隅にだしてしまったり(サザエさんの家もそうですね)
庭の電線は地下に埋めたり、部屋のスイッチは押入れや地袋に隠したり
コード類をどのように隠すかに苦労したそうです。
偕楽園は東京で始めてできた中華料理のお店です。普請に凝れるというのは
資金力があるからこそできる技です。
現代においては生活スタイルが和ではなく洋に多く傾いているので
和の心と伝統を理解したうえにお金もないと谷崎潤一郎氏の求める
空間を手に入れることは難しいと感じましたし、そのような空間を
求めている人も今は少ないだろうと思いました。
谷崎先生!火鉢は暖房器具ではないのですか?
分けても苦心したのは煖房の設計であった。と云うのは、およそストーヴと名のつくもので日本座敷に調和するような形態のものは一つもない。
色々苦心された上で、先生は金に糸目をつけず百姓家にあるような大きな炉を造り、
中へ電気炭を仕込み暖房効果もお湯を沸かすのにも良い!とおっしゃっています。
が私にはどんなものだか想像する力がありませんでよく分かりません。
火鉢はストーブと名はつかないので論外だったのでしょうか。
暖房と見た場合、和室にもぴったりではないでしょうか。
現代では電気炭をしこまなくてもこんなよいものがあります!
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火鉢型ハロゲンヒーター。
お餅をやけたりやかんのお湯を沸騰させたりできるのですって。
やかんにチロリを突っ込んで毎日晩酌している方のレビューが
ありました。うらやましい。
毎朝の便通を愛した夏目漱石先生
母屋の離れにある厠は素晴らしい!と谷崎氏はおっしゃいます。
日本家屋の日本の厠は精神が安らぐ場所なのだそうです。
離れの植え込みの陰などに設置されている厠で、緑を見ながら薄暗い光
の中、用を足しながら瞑想したりもしたそうです。
徹底的に掃除が行き届いている厠は京都や奈良の寺院でありそこで用を足す
ことは至極であるそうです。
漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。
谷崎氏や夏目氏が愛した厠は今現存しているのでしょうか。
和式プラス汲み取りという認識であっていますかね。
禅寺のトイレは東司や雪隠と呼ばれています。
落語で開帳の雪隠なんてのもありますね。
「こちらで4文でお手水させていただけますか?」
声色が急に女性らしくなる桂米朝師匠の技は
さすが重要無形文化財保持者です!
話それましたが文明の発達や西洋文化の侵食によって日本の風流な伝統や
習慣が破壊されていくことを谷崎氏は嘆いていました。
照明にしろ、煖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はないけれども、それならそれで、なぜもう少しわれ/\の習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか
それは明治以降日本が西洋の資本主義社会を取り入れ、伝統や文化を
守ることよりも利益を追求するようになったからではないでしょうか。
谷崎氏も本の中で自宅のトイレはさすがに水洗にしましたが、床はタイルを
はらずに楠の板を張り詰めました。便器も陶器ではなく蝋塗りの木製の物に
したかったようですが、特別注文でそういうのを作ると費用がかかりすぎる
ということで断念しました。
伝統文化を取り入れると機械で加工しにくく大量生産に向かない。
それでも作れば当然高くなる。庶民は買わないので需要もなく
更に高くなる。
そのような繰り返しの結果、トイレは白い便器で無機質な空間であっても
清潔感があるものが良く、瞑想どころかトイレが長いのでニュースを
読むためにアイパッドを持ち込まないと用が足せない私みたいな
人間が出来上がったのでした。
谷崎様、明治政府が悪いということでよろしいでしょうか?
すみません。次の章にちゃんと谷崎氏の考察が書かれていました。
もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。
西洋に侵されことなく独自に発達していったならば、
照明も暖房も便器も家屋も日本の伝統文化に合うよう、
侘びさび風流を損ねない工夫の凝らされた製品で囲まれて
いたことでしょうね。
そしてそちらの方がモダンだと西洋に受け入れられていく。
和式便器を西洋人が驚きと畏敬の念で輸入しまくる。
「日本の便器は他人のお尻と間接的に接触する可能性はゼロである!」
「用足しで足腰まで鍛えられるシステマチックな便器!」
和式トイレが世界を席巻し世界中の人々の足腰を鍛えまくった結果
あらゆるスポーツの記録が現在のものより良くなっている可能性が
ありましたね!
和式便器では便秘になりにくいという説もあります。
太っている人は膝に負担がかかりすぎるため和式便器はきつい。
毎日のことですから、せめて楽に用を足せる体重に皆なりたい!
と考えればメタボや生活習慣病で苦しむ人も今よりずっと減っていた
可能性もあります!
なんというお馬鹿なことを酒も飲まずに考えているのでしょうか!?
谷崎潤一郎恐るべし!
ということで人のせいにして終わるという
最低の感想文でした。ごめんなさい。
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