梶井基次郎の檸檬の感想

梶井基次郎檸檬

黄色という色に何も特別な感情はない。
梶井基次郎の檸檬以外には。

ランディーだ。檸檬を読み直してみた。

19歳で肺結核にかかり、檸檬は24歳の時の作品。
梶井が三高時代の京都が背景にある。

冒頭、えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。
中ほどでも何かが私を追い立ている。
街を浮浪し、友達の家を渡り歩き、友達が学校にいる間
ぽつねんと取り残されており時間だけはあるようだ。

今自分がいる京都の道が実は仙台だったり長崎だったりという
空想を交え現実逃避の徘徊をする。

檸檬の二段落の最初にもなぜだかわからないけどみすぼらしくて
美しいものに惹かれるとる。壊れかかった街だとか、
洗濯物が干してある汚い部屋だとか、汚らしいながらも人の生活感の
ある風景の中に生きていることを実感していたのかもしれない。

始終私の心を圧えつけていた不吉な塊から逃れるために彷徨っていた中、
檸檬を手にしたことで苦しい気持ちが緩和される。

手に入れた店は夜に比較的にぎやかな寺町にありながらなぜか暗い八百屋。
夜は殊更暗く感じられ、その黒と檸檬の黄色の見事な対比。
余談だが西洋の子供に月を描かせると皆銀色に、日本の子供は黄色に
描くのは特殊であるそうだ。闇夜と月のコントラスト。

そしてたびたびでてくる絵の具という言葉。この檸檬の黄色こそ絵の具の
黄色をそのまま他の色と混ぜずに表現できる色。

また病気でいつも熱を帯びている基次郎に心地よいひんやりとした
手触り。重さもベストであるといっている。軽くもなく重くもなく、中途半端
な気持ちにぴったりなのだろうか。檸檬は紡錘形でまんまるのものより
手の中で弄ぶには良い感じだ。あと軸や、へたがなくつるんとしている
のも特別だったと思われる。

その檸檬が体の熱と一緒に得体のしれない不吉な塊も吸い込んでくれた
のであろう。

暗いその八百屋にあってこその檸檬なのだが、
あまりに探していたものとマッチしてしまったため、
そのまま心も軽やかに興奮したまま丸善の前に来てしまう。
十字架と聖水を手にした心地でドラキュラ城に乗り込むのだ。
昔の自分のように丸善を楽しめるかためすために。

しかし文房具やキセルを見ても心は躍らず、どの本を眺めても
つまらなく、もとの場所に戻す気力も腕の筋力もない。
檸檬マジックは消え去ってしまったのか。

そうだと思いつき本を積んで台座を作り檸檬様を鎮座させる。
本の色を組み替えて頂上の檸檬にふさわしい塔を完成させる。
まだ魔法は残っているらしく、周囲だけ変に緊張しているような気がする。

だが世界が完全に変わるわけではない。
そこで思いついたことが檸檬を時限爆弾とし、
丸善ごと吹っ飛ばすという妄想。

自分を苦しめるえたいのしれない不吉な塊は今は檸檬の中にある。
基次郎は森鴎外や志賀直哉などを好んでいたようだが、裕福な彼らとは
バックグラウンドが違いすぎる。生前には彼の作品はそれほど認められていない。
本の上に置いた爆弾は全ての名のある作家へのやっかみもあるのかもしれない。

梶井基次郎の檸檬は青空文庫でも読めるし、
キンドル版なら無料である。


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ランディーのプロフィール

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アラウンドフォーティーな自由人。 バツイチ子無し独身、一人暮らし。 子供は好きだがこれから育てようとは 思わない。よって再婚はない。 残りの人生をダンディーに楽しむのみ! 趣味はテニス、ピアノ、エレキベース。 いずれもど下手なので愉しみがいがある。

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